大本山永平寺直末 曹洞宗陽光院 横浜、三ツ沢のお寺。
 
神奈川宿古地図
 
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陽光院の歴史

1、引越の多いお寺


陽光院は一七〇〇年頃の江戸時代、今から約三〇〇年前に開山されました。しかし、開山当時からここ三ツ沢にあったのではなく、二度の引越しを経て現在の場所に移ったと言われています。

 
江戸時代陽光院

江戸時代の陽光院


陽光院が初めて建立された場所は、現在の京浜急行神奈川駅、青木橋付近でした。江戸期は神奈川宿が位置する所で、お寺も多くの参拝で賑わったと言われています。
 
しかし、開山から約二〇〇年後の大正初め頃、寺院運営が悪化し、引越しを余儀なくされ、現在地にほど近い三ツ沢南町にお寺を移したと言われております。これが最初の引越しとなります。
 
そして、新たな場所で陽光院は興隆を掲げましたが、大正十三年の関東大震災、昭和二十年の横浜大空襲で伽藍が焼失してしまい、苦難の道を歩む事となりました。
そして昭和二十三年の農地改革を機に、再び陽光院は引越しをし、現在の三ツ沢中町に移りました。これが2回目の引越となります。
昭和初期陽光院

昭和初期の地図


つまり、三ツ沢中町の丘にそびえる現陽光院は、なんと三代目のお寺と言う事です。
 

  

2、曹洞宗大本山永平寺 直末寺


陽光院は福井県にある曹洞宗大本山の一つ、永平寺の直末寺です。
直末寺とは御本山の住職が開山したお寺の事を言い、大本山永平寺の直末寺は全国に約一五〇ケ寺、神奈川県には二ケ寺あると言われております。
陽光院はその内の一寺院で、直末寺としておよそ三〇〇年の歴史をここ横浜に刻んでおります。
 
永平寺のご住職は現在に至るまで七十九世いらっしゃいますが、陽光院はその内の三十七世、石牛天梁(せきぎゅうてんりょう)大和尚を拝請して開山したお寺です。この石牛天梁大和尚は埼玉県秩父のお生まれで一六〇〇年代後半にご活躍された僧侶です。
このような由縁から陽光院の寺紋は、永平寺と同じ久我竜胆(こがりんどう)と言われる紋を用いています。本堂、境内至る所にこの紋が装飾されておりますので、お寺にいらした折に、是非ご確認なさってみてください。
 
久我竜胆紋

久我竜胆の寺紋


 

3、陽光院御本尊


 
陽光院のご本尊様は釈迦如来、つまり仏教の開祖お釈迦様です。何百年もの間、供養、懴悔、願いとさまざまな祈りを受け入れてこられたあたたかな眼差しをお保ちになられるご本尊様です。お寺にお越しの際は、ご本尊様にもご挨拶や祈りをお捧げ下さいますようお願い致します。
 
江戸時代前期作

像高:39.1cm
造り:寄木造・玉眼
 
本尊釈迦牟如来